『アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ,ブルースからヒップホップまで』 大和田俊之 著,講談社 刊
第1章 黒と白の弁証法
――擬装するミンストレル・ショウ
第2章 憂鬱の正統性
――ブルースの発掘
第3章 アメリカーナの政治学
――ヒルビリー/カントリー・ミュージック
第4章 規格の創造性
――ティンパン・アレーと都市音楽の黎明
第5章 音楽のデモクラシー
――スウィング・ジャズの速度
第6章 歴史の不可能性
――ジャズのモダニズム
第7章 若者の誕生
――リズム&ブルースとロックンロール
第8章 空間性と匿名性
――ロック/ポップスのサウンド・デザイン
第9章 プラネタリー・トランスヴェスティズム
――ソウル/ファンクのフューチャリズム
第10章 音楽の標本化とポストモダニズム
――ディスコ,パンク,ヒップホップ
第11章 ヒスパニック・インヴェイジョン
――アメリカ音楽のラテン化
「ソウル/ファンクのフューチャリズム」という副題の付けられた「第9章」は,1963年11月30日号から1年と2ヶ月の間,ビルボード誌から「リズム&ブルース・チャート」が消えてしまった原因・背景の解明という形で論が進められている。
その答えとして筆者が提示しているのは,その時期が「人々の音楽的嗜好の決定因子として『人種』よりも『世代』が前景化した時代」だったから。
「1964年までのモータウン・サウンドが『白人に媚びた音楽』か『黒人音楽』であるかどうかを問うことは不毛である。そもそも,この時代の音楽は『人種』による分類を前提としていない。もちろん,『人種』が問題化しない状況そのものが白人による黒人文化の搾取だという批判はありうるだろう。だが,それは社会のあらゆる領域に適用できる批判であるが故に個別事例へのコメントとしては説得力を欠く。重要なのは,アメリカのポピュラー音楽史を概観したときに,他の時代に比べてこの時期に『人種』という社会的カテゴリーの影響力が低下したことであり,それを敏感に察知したビルボード誌が黒人音楽のランキングを一時的に廃止したという事実である。」(pp.199-200)
この部分だけを読むと,「そんなバカな・・・?」と考える人が多いかもしれないが,豊富な資料を基に緻密な論理で記述されている本書を読むと,「なるほど・・・。」と思っていただけるはず。
「ハーレム・ヒット・パレード」(1942-),「レイス・レコード」(1945-),「リズム&ブルース」(1949-),「ソウル」(1969-),「ブラック」(1982-),「R&B」(1990-),「R&B/ヒップホップ」(1999-) と名称を変更しながら現在まで「アフリカ系アメリカ人の音楽的嗜好を記録し続け」てきたビルボード誌の黒人音楽チャートが,この「1年と2ヶ月」の間だけ途絶えていたことは以前から気になっていただけに,本書の指摘は,新たな視点を提供してくれたという意味で,非常に参考になった。
この「ソウル/ファンクのフューチャリズム」という章のまとめのエピソードは,マイケル・ジャクソンの「ムーンウォーク」。
「それは『月面遊歩』というフューチャリズムとミンストレル・ショウにまでさかのぼる『すり足=シャッフル』のコンビネーションであり,顔を『白くした= whitewashed』マイケルが人種的他者を<擬装>しながら擬似的な『宇宙空間』で黒人のステレオタイプを演じ」るパフォーマンスは,「『未来』と『過去』が同居するという意味で黒人文化の正当性を受け継いでいる。」(p.214)
本書を貫いているテーマは,<擬装>。辞書を引くと disguise という単語が出てくるが,「他者を装う」という意味では,pretend のほうがふさわしい・・・?
そこで思い浮かべたのが,Randy Newman の名盤 "Good Old Boys" に収録されていた 'Guilty' という曲の最後の一節。
... I just can't stand myself
And it takes a whole lot of medicine
For me to pretend that I'm somebody else
この 'medicine' を 'music' に読み替えると,「アメリカ音楽」を聴いているときの自分を的確に表現しているような気がする。
アメリカのポピュラー音楽が<擬装>願望を原動力として発展してきたものなら,それは,その音楽のオーディエンスの<擬装>願望を反映してきた・・・とも言えるのではないか。
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2011年6月12日 08時12分
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