『私はリズム&ブルースを創った』 ジェリー・ウェクスラー
『私はリズム&ブルースを創った ―― 〈ソウルのゴッドファーザー〉自伝』 ジェリー・ウェクスラー / デヴィッド・リッツ 著,新井崇嗣 訳,みすず書房 刊
みすず書房内の紹介ページ ↓
http://www.msz.co.jp/book/detail/07831.html
原題の "RHYTHM AND THE BLUES - A Life in American Music" を,どう意訳すると邦題になるのか・・・(?_?)
おそらく昨年,邦訳されて出版された ↓ を意識したものなのだろうが・・・
□ 『アトランティック・レコードを創った男 アーメット・アーティガン伝』 ロバート・グリーンフィールド 著,野田恵子 訳,折田育造 監修,スペースシャワーブックス 刊
↑ の原題は "THE LAST SULTAN - The Life And Times Of Ahmet Ertegun" で,これも完全な「超訳」だけれども,Ahmet Ertegun が Atlantic Records の創立メンバーだったというのは「事実」。しかし,Jerry Wexler が Rhythm and Blues を「創った」という事実は無い。
Jerry Wexler は,Billboard の記者だった頃(1949) に,当時「レイス・レコード」と呼ばれていた黒人レコード・チャートの名称を「リズム&ブルース」に変えたらどうかと提案(本書 pp. 71-72) し,それが定着したに過ぎない。つまり,その時点で既に 'Rhythm and Blues' という名称がふさわしい音楽は巷にあふれていた。
もう一つ解せないのが,帯の背の部分にある「すべてのブラック・ミュージックファンへ」という文句。原題のサブ・タイトルにあるように,本書で扱われているのは American Music であって,「ブラック・ミュージック」ではない。
「ありがたいことに,私[Jerry Wexler] がアトランティックに入ったのはちょうど,黒人と白人をきっぱりと分けていた境界線が消えはじめるという,米音楽界におけるあの幸福な転換期だった。さまざまなものが次々にぼやけていき,アトランティックはその崩壊の恩恵を受けると同時に,その動きに寄与した。」(本書 p.102)
一部のスポーツ紙や週刊誌ならセンセーショナルなタイトルを付ければ売り上げが伸びるかもしれないが,本書の場合は,読者層を限定するような売り方は逆効果のような気がするが・・・(^_^;)
この本の原書は1993年に出版されていて,その内容は部分的にはいろいろな記事やアルバム解説等に引用されていたが,こうやって全文が翻訳されたおかげで,その部分の前後も読むことができるようになったのはありがたい。
例えば,Eddie Hinton を形容する言葉として 'White Otis Redding' という有名な表現があるけれども,それは,Jerry Wexler が Bob Dylan を Muscle Shoals でプロデュースしたエピソードについて書かれた章の1ページに書かれていたものだった。
その最後の一節は,
「ボブ・ディランとエディ・ヒントン。かれらが真の友(ソウル・ブラザーズ) だったことを思い出すたび,なんとも不思議で,なんとも素敵な気持ちになる。詩人がふたり,一方は世界的に知られ,もう一方はわずかな友人,隣人,ファンに知られているのみ。ふたりとも心を震わせるアーティストだった,ふたりとも輝いていた。」(本書 p. 323)
Bob Dylan と Eddie Hinton が出会ったのは ↓ のセッション(1972) 。そして,それが Bob Dylan の初めての Muscle Shoals 体験だった。
● Barry Goldberg "Barry Goldberg" [Atco WPCR-14839]
Jerry Wexler は自分がプロデュースしたわけでもないのに,同じページで ↓ を「歌手エディの深遠なる魂が刻まれた,熱き記録」として紹介している。
● Eddie Hinton "Very Extremely Dangerous" [Capricorn 314 536 111-2]
1978年にリリースされた ↑ をプロデュースしたのは,Barry Beckett。
Jerry Wexler は,Barry Beckett を Muscle Shoals Rhythm Section(The Swampers) の「事実上のリーダー」だったと語っている。(本書 p.210)
当時,Barry Beckett が Muscle Shoals で行っていたアレンジの手法では,コードをシンプルな番号で表していた。そのやり方は,Rod Stewart も ↓ のアルバムのセッション(1975) で体験したそうだ。
● Rod Stewart "Atlantic Crossing [Collector's Edition] (2 CDs)" [Warner Bros. 8122 79868-4]
「どの地やどの人間よりも,マッスル・ショールズは私の人生を変えた。音楽的に,そしてありとあらゆる面で。」 (本書 p.196)
Jerry Wexler にとっての「マッスル・ショールズ」は,Barry Beckett を「リーダー」とする Muscle Shoals Rhythm Section であって,Fame Gang について本書では一言も触れられていない。
Jerry Wexler が,Muscle Shoals Rhythm Section の連中をそそのかして独立させたり,Sound Of Memphis のスタジオから The Dixie Flyers を引き抜いた(本書 p.257) ことは知っていたが,Chips Moman が Stax から出て行くきっかけにもなっていたらしい。
「商売を始めるというチップスに,私は口約束で5000ドルを貸していた。」(本書 p.256)
結局のところ,Jerry Wexler がアメリカ南部に来てやったことは,スタジオの内部を引っかきまわしただけ・・・(^_^;)
他にも面白いエピソードが満載の本だけれども,個人的に興味深かったのは,Bert Berns について書かれた章 "The Big Bang!"。
「バートは1967年12月に心不全で死んだ。38歳だった。葬儀に,私は出なかった。」(本書 p.175)
Jerry Wexler にとって,Bert Berns はかなり嫌な奴だったらしい。
その同じページに,バート・バーンズが「英国でギタリストのジミー・ペイジを見つけ,R&B セッションで使おうとアメリカに連れてきていた。」とあるのだが,Bang レーベルからリリースされたシングルの中には Jimmy Page の参加した曲があるのだろうか・・・?
「索引」によると,本書に Sam Cooke の名前が登場するのは12箇所。
その中で重要そうに思える部分を紹介しておくと,
「ソウル歌唱の全特性のなかで,私は甘美(スウィートネス) が最も重要だと考えている。歌声の性質に宿る甘美,歌詞の解釈における甘美,メロディの紡ぎ方の甘美。この流派の偉大なる主唱者がサム・クックであり,次なる偉大な支持者がソロモン(・バーク) だった。それから10年ほどのち,ダニー・ハサウェイがそのスタイルを昇華させ,甘く美しく柔らかな響きを現代のシンガーに広めることになる。」(p. 168)
「『ゴット・トゥ・ゲット・ユー・オフ・マイ・マインド』はソロモン(・バーク) いわく,サム・クックが LA のモーテルで射殺される前週に,サムと『非公式に』共作した曲だという。」(p. 174) ← は,Solomon Burke がそう言っているだけなので,眉唾物・・・(^_^;)
「これは持論だが,優れたシンガーには3つの資質が要る。頭と心と喉だ。頭とは知性,その節回し。心とは炎にくべる情感。喉とは技術,その声。レイ・チャールズは間違いなく最初のふたつを持っている。声については,すばらしいが,ベルカントとは言えない。だが,アレサ(・フランクリン) には,サム・クックがそうだったように,3つの資質すべてがある。」(pp. 270-271)
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2014年6月4日 23時52分
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特に最後の引用文をBOTネタで頂きたいですね(笑)
Aretha と Columbia の契約が切れた時点(1967) で,もしまだ Sam Cooke が生きていたら,Aretha Franklin は Atlantic ではなく RCA に入っていたかも・・・?
そのまま拝借いたします(^_^;)
アレサとサムの間には他にも面白そうな話しがあると思うので、アレサの自叙伝が書かれた洋書の翻訳版も出版してもらいたいものです。
当時は,R&B = 猥雑で下品,Jazz = 芸術的で上品,というのが一般的な評価だったのでしょう。